18187日

2006年4月1日 日常
今日は2006年4月1日。僕は今日まで18187日もの間生き永らえているらしい。
今日も命があることに感謝!

ところで今日はお天気も良かったので、妻と二人で吉祥寺にでかけた。主な用事は「快気祝い」の品を選ぶことだ。結局、東急の地下で「吉祥寺のきんつば吉祥吉日」の詰め合わせをこれから良いことが続きますようにとの願いを込めて送ることにした。ついでに8Fに寄って介護用品売場で先日買った靴の色違い(ブラック)を取り寄せてもらうことにした。やはりダークブラウン1足だけでは色調が合わないスーツもあるしね。それからさらについでに恩賜公園の方に行ってみたが花見客で大混雑。もみくちゃになった。おおコワ!

で早々に退散し「デニーズ」でお茶をして、もっとついでに「Laox」に寄り、入院中に息子の電気ひげ剃りを借りていたので返却用に新しいのを買い求め、漢字と四字熟語に弱い妻には「電子辞書」を退院の記念にプレゼントした。最後に隣の三越で食料品を買い込んで、千川上水の桜を眺めながらタクシーで帰ってきたのだった。
あぁ、しんど!でも、これも生きてる証しだけどね。

浦霞

2006年3月31日 日常 コメント (1)
今日で3月も終わり。
同時に長いようで短く、苦痛なようで楽しかった、病院との御縁もひと段落となった。

午前中に退院のお知らせはがきの住所をリハビリも兼ねて手書きしていたら案外時間を食ってしまい、病院へのバス乗り換え駅の久米川駅に到着したら13:00を過ぎていた。最終OT治療は13:40からだから、昼飯ぐらい大丈夫だろうと高をくくってカレー屋に入ってアサリカレーを食す。これが久々の辛さと熱さに舌がびっくりしてしまい、完食するのに20分以上はかかってしまった。

こりゃ間に合わないと、急いでタクシーに飛び乗ったが病院に着いたら13:30を過ぎていた。受付を早々に済ませて外来診察室で血圧を計ると上が160、下が110もある。病気になる以前の血圧並みだ。2、3度計り直してようやくOT室へ。今日はこのあと会社に立ち寄るので、病院では初めてのスーツ姿だった。何か七五三のお参りで正装した幼児に戻ったような照れくささを覚える。ギャグで千歳飴でも持っていけばウケたかなぁ。

吉田先生は最終診療ということもあり、とても丁寧に診てくれた。本当にありがとうございました。(あ、決して今まで丁寧じゃなかったと言ってるわけじゃありませんからね!日本語はムツカシイ)オトボケオーテー先生をはじめ他の先生方にも本当にお世話になりました。どれだけ感謝の言葉を重ねても足りないくらいです。とにかく来週から4ヶ月ぶりの企業戦士に復帰です。またこれから先も身体状況をこのブログに書き留めていきますので、もし時間があれば立ち寄ってくださいね。そしてあつかましいですがアドバイスをいただけたら幸甚です。(更新が止まった時は=「ついにその時が来た!」ということで焼香でもしてやってください・w)

話は変わって、夕刻会社に立ち寄り、帰りに高田馬場へ。17:30を過ぎていたので、線路の土手沿いにある「樽一」という居酒屋に寄ってみた。案の定、入院中にここへは仲間内の誰も来てないらしく、僕の病気情報は伝わっていなかった。大将はスマートになった僕の姿に驚いていたけど「4ヶ月も顔見せねえから、てっきり野たれ死んでると思ってたよ」と相変わらずの名調子ながら、絶妙の気配りをみせてくれた。

ここは本当に刺・焼・煮どれにしても魚がうまいし、酒もこだわりの銘酒「浦霞」の特注品のみで、今どきのヤワな炭酸や水で薄めるようなものは置いてない。粋を極めたような店なんである。もちろんお勘定もそれなりにという、学生街の高田馬場には数少ない、酒と肴のコラボレーションを楽しむ、オトナな店なんであーる。

で「やっぱりあいつら人のおごりでないとここへは来ないんだよなぁ、薄情者め!状況報告にくらい来いよ」なんて、いないヤツらをサカナに大将と再会の祝杯を交わしたのだった。(といっても刺身と浦霞を冷やで1合だけだよ。身体の為に節制、節制!しかしうまかった)

*吉田先生へ。aikoDVDのマル秘映像へのpasswordは下記HPにありますよ*
http://aiko.can-d.com/home.shtml
今日は通勤経路の確認にでかけた。乗換駅になる高田馬場駅は昨年から比してずいぶんと変化を遂げていて、新しい連絡通路が整備されていた。もちろんエレベーター、エスカレーター完備である。さすが身障者に優しい街。思えば、福祉関連の団体や学校も集中しているし、ホーム転落事故があっていち早く対応が進んだとも言われているからなあ。ともあれ杖さえ持っていれば何の支障もなく通勤できそうだ。

せっかくだから、改札を出て「さかえ通り」をはじめ近辺を歩いてみた。まだ日暮れまで少しあったので、良く通っていたいくつかの飲み処は開店前だったけれど健在だった。もう少し自信がついたら復帰後に挨拶方々一杯やりに行こう。

しかし今日は午後からとても寒くなり、そのうえ風が強くて、時折吹く突風に足をとられそうになり、本当にまいった。まだまだ筋力が落ちてるなぁ。

明日はいよいよOT(作業療法)の最終日。通院治療の総仕上げです。吉田先生、なにとぞよろしくお願いします。
今日は3回目の通院。PT(理学療法)の最終日だ。寒の戻りというのか、花冷えの天候で、かなり身に応えた。

PT担当の先生は若いのだが、的確な判断で麻痺の原因となっている部位を捉えてくる。研究熱心で、先入観なしに患者とニュートラルに向きあう姿勢が実に好ましい。彼のような療法士がきっと将来「ゴッドハンド」と呼ばれるようになるのだろう。

早く終われば池袋経由で帰ってみようかと思っていたのだが、治療後にナースの皆さんや同室だった患者さんと世間話をしているうちに遅くなってしまった。時間の都合がつけば会社にも立ち寄ろうかと思っていたので、一応断りの電話を入れた。まぁ、どちらにしても今日はジャージ姿だったし、オフィシャルな場所に行くにはちょっと無理があったけどね。明後日の金曜日13:40〜がOT最終日。その後に会社に寄ろう。てことはスーツで病院に行かねば。でも、そんな格好じゃ治療がやり難いだろうか?これは難題だ。「吉田先生、回答求む!!」(w

しかし、我が家族は早朝から出かけてもう日付が変わろうとしているのにまだTDRから帰ってこない。ほんとにしようがないなぁ。退院したから、安心しきってるんだろうな。ゲンキンなものだね、ったく。

**川島さん、コメントありがとう!がんばって卒業してくださいね**
**オトボケ先生、ありがとうございます!金曜にお目にかかれるとうれしいデス**
今日は、再び通院デーだ。前回のように遅れないようにと朝から気合が入っていたのだが、昼飯を食べたらついリビングのソファーでまどろんでしまった。今日はOT治療もあるから前回よりもさらに早く行かねばならぬのに、何たる不覚。長女に叩き起こされ、とにかく急いでタクシーに乗った。何とか間に合ったので良かったが、入院している時と違って、通院治療は結構本人の自覚と固い意志が必要だと悟った。退院後1週間ぶりのOT室では、先生方皆さんが温かく迎えてくれた。患者にとっては先生方皆さんからの「ちょっとしたひと言」の声かけが本当にうれしいものですね。退院後に余計にそれが患者さんたちとの大切なコミュニケーションなんだなって分かりましたよ。

OTが終わり、PT室へ。こちらも順調に治療が進み、帰りがけにナースステーションへ立ち寄り。ちょうど院長先生や看護師長もいらしたので、退院時にできなかった御挨拶を済ませることができたのでよかった。帰路は前回同様にバスと電車を乗り継いでみた。バスはちょうどノンステップバスが来たので、とてもスムーズに乗降できた。ほんと早く100%の車両がそうなるといいね、と自分がこうなってみて実感する。それに比べて電車の方は数倍身障者に優しくできていて、もう何の問題もなく利用できる。あとは通勤時のラッシュに慣れればいいだけだ。わざと杖ついて優先席の前に立つ、関西のオバチャン並の「ドアツカマシサ」を早く身につけよう(w

次回の通院は明後日の水曜日。もう少し余裕をもって出かけねば、家族は春休みの恒例行事で早朝から皆TDRに行っちゃうから(いやまったく女性はいくつになってもディズニーの夢の世界が好きだね)、寝坊したらそれこそ「大顰蹙、アウト!」だね。
昨日は家族写真を撮影に行った後、夕食は外食にしようという話でまとまり、武蔵野北高校の近くにある「ホルモン亭」というこのあたりではとても美味な焼肉屋に出かけた。片道1.5kmほどの山あり谷ありの行程を久しぶりの焼肉に釣られて、夜のお散歩コースと相成った。だがしかし、焼肉でスタミナをつけようという目論見は見事に崩れ、今日は朝から足の付け根が痛い。

そんなわけで週末に予定していた「アサガヤ観光一人旅」は急遽順延し、部屋の掃除と模様替えをすることに。書類整理と本棚の書籍移動をメインにやったのだが、左手がまだ十分に機能しないので結構な重労働になってしまったのだった。

***吉田先生、コメントありがとうございます。明日よろしくお願いします!***
今日は家族みんなで近所の写真館で「家族写真」を撮った。もともとお正月に撮ろうと計画していたのが、僕の入院で今になったのだ。

長女はすでに卒業式を終えているので今さら高校の制服を着るのはちょっと嫌だったかもしれないが、浪人することが決まったのだから(滑り止めにお試し受験した中堅どころの女子大2校も通ったのにそこには行きたくないと硬い意志だから仕方が無い)3月中はまだ高校生みたいなものだ。いやいやこれから1年間は高校の延長期間として勉学に励んでもらうぞ、覚悟しなさい。

しかし「家族写真」なんてずいぶん長いこと撮ってなかったなぁ。あの時あのまま黄泉の国に行っていたら、さぞかし悔やんでいたことだろうな。残りの限られた人生の節目に残す自分の姿として、これから毎年の恒例行事にするかな。
『にんじん』 友部正人 CD エイベックス イオ

僕がまだ近畿地方の片田舎で高校生だった頃、1stアルバム『大阪へやって来た』に続いて、1973年にこのアルバムはリリースされた。その中の1曲「一本道」はこんなフレーズで構成されている。

ふと後をふり返ると
そこには夕焼けがありました
本当に何年ぶりのこと
そこには夕焼けがありました
あれからどの位たったのか
あれからどの位たったのか

僕は今、阿佐ヶ谷の駅に立ち
電車を待っているところ
何もなかった事にしましょうと
今日も日が暮れました
あゝ中央線よ空を飛んで
あの娘の胸に突き刺され

どこへ行くのかこの一本道
西も東もわからない
行けども行けども見知らぬ街で
これが東京というものかしら
たずねてみても誰も答えちゃくれない
だから僕ももう聞かないよ

お銚子のすき間からのぞいてみると
そこには幸せがありました
幸せはホッペタを寄せあって
二人お酒をのんでました
その時月が話しかけます
もうすぐ夜が明けますよ

肉声とギターとハーモニカだけで鮮やかに紡ぎ出される「心象風景」に10代の純情少年はいたく感激し、東京の大学に入ったら「アサガヤ」という憧れの都会の響きがする街に住もうと心に誓ったものだ。でも結局は大阪の大学に進学し、関西を拠点に劇団やバンド活動で留年までして紆余曲折のキャンパスライフを散々楽しんだ挙句、ようやく本格的に「東京へやって来た」のは30歳を過ぎた頃、就職先の急な転勤命令で上京したのだった。

それから20年近く東京の街をただ忙しく疾走するだけの日々を経過して今回の入院騒ぎまで、すっかりこの「唄」のことは記憶の外にあったのだが、病院のベッドに横になっているうちに、なぜだかその歌詞が幾度となく鮮明に浮かんでくるのだった。そしてその度に「生きててよかった」と思う僕がそこにいた。

お天気が良ければ、週末にでもリハビリを兼ねて、純情田舎少年時代に憧れた街「アサガヤ」にちょいと出かけてみるかな。
今日は退院してから初めての通院日。午後3時40分からPT(理学療法)の約束だったのだが、病院に到着したのが10分前。電車とバスを乗り継いで行ってみたのだが、電車の駅では下り階段が随分長いものに思え、バスではノンステップじゃない車両だったので下車する際の大きな段差に戸惑う。やはりまだテキパキとはいかないようだ。

次は来週の月曜日にOT(作業療法)とPTを受診予定、その前に問診もあるから昼飯食ったらすぐでかけなきゃね。しかし久々に時間に追われて、一人歩きしてみて結構疲れたぁ、肉体的にも精神的にも。

そんなわけでOT室にも挨拶方々、次週の打ち合わせに立ち寄ろうと思っていたけど、PT終えて早々に退散して来てしまいました。

***ミーミさん、コメントありがとネ!リハビリ励みます***
入院中は入浴洗髪が週1回だった為か、それとも栄養摂取量が極端に減った(体重12kg減)為か、いずれにせよ抜け毛がすごくて白髪も増えたので思い切って短髪にすることにした。ほとんどスポーツ刈りか丸刈りに近い状態になってしまったが、いっそサッパリして気持ちが良い。これで少しは毛根に良い影響があればと期待したい(w

さて、今日は復職届と診断書を同封した会社宛の封書を投函しに、駅前のポストまで短い距離だが杖なしでリハビリ散歩に。半年前と何も変わっていない風景がそこにはあった。パン屋のおばちゃんと目が合ったので「おひさしぶり」と挨拶を交わす。

ここで大きな変化に気が付いた。なんとパン屋にあったケーキ売り場の一角が宝くじ売り場になっているではないの。おばちゃんの話によると去年の11月末に改装したとのこと。あれあれ「その11月から入院して一昨日退院してきたんだよ」と僕。「じゃあ、おばちゃん!これもなにかの御縁だね。災い転じて福となす。記念に宝くじ買いましょ」と、美味しい自家製ショートケーキが買えなくなったのは切ないけれど、「玄人」と洒落て「9610」でナンバーズ4を5回継続で購入。と、その真後ろで托鉢僧の鈴がチリンと鳴った。
今日はバスに乗って吉祥寺東急内にある介護用品専門ショップに靴を買いに出かけた。当面は左足首を固定するプラスチック装具を装着しなければならないので、今までの靴ではサイズが合わないのだ。スーツにも似合いそうな靴を探したがなかなか良いのが見つからない。そりゃそうだ、今まではお気に入りのロックポートの革靴に合わせてスーツを仕立てていたくらいだから見つかるわけがない。まぁこの事態でそう我儘も言っていられないのでDr.assyという靴底にショックアブソーバーの入ったものを1万円で購入。その場で履いて帰ることに。装具を装着したうえで靴を履くと本当に歩きやすいのを実感。先ほどまで杖のみに頼っていたので、つま先がぶれる度に路面の凹凸に引っかかっていたのが無くなり精神的安心感が増す。
本日3月20日に漸く退院の運びとなりました。4ヶ月余の闘病生活となりましたが、自分自身が一時的にせよ社会的弱者となってみて初めて現実社会の矛盾と冷たさに気付き、逆にこれまでの自己チューな生き方を恥じ、今後のことを考え直す良い機会となったと思います。
今月中は、自宅で体力回復と事務スキルの復調に努め、週2回の通院でメンテナンスをしてもらうことになっています。そして、いよいよ4月から本格的社会復帰となる次第です。
長女の卒業式はあいにくの雨。これは時間的にちょっと無理かなということで予定を変更。往路はタクシー、帰路のみ徒歩に挑戦することに。午前中に式典を終えて、担任と部活の先生にご挨拶を済ませ、打上げクラス会に行くという長女を残し(PTA主催の謝恩会は後日開催ということなので)小雨の中を駅前のトンカツ屋まで歩いてみた。ここは入学式の帰りに妻、長女と3人で昼食を取った思い出の場所だ。3年前の元気一杯だった頃を思い返して立ち寄ってみたが、そこには意外な難関が待ち受けていた。

そう、階段だ。2階の入口にたどりつくにはエレベーターもエスカレーターもなく、実用性の無い、こじゃれた手すり付きの上りにくい階段があるのみ。うーん、これは下りも大変だなぁと思いつつなんとかお店に。ところが今度は座席までの通路に玉砂利と飛び石ときた。まぁ、これもクリアして注文。目の前にはお箸だ何だとセットされていく。やっとゆっくり食事ができるかなというところでゴマの入った小さなすり鉢とすりこ木が用意された。以前なら苦にもならなかったこのゴマスリ作業がなかなか難題で、不自由な左手はすり鉢を支えるだけのはずなのにうまく作業ができない。

ゴマスリがうまくできない奴は出世もできないなんて冗談言ってる場合じゃない。

食事も終わり、下り階段をやっとの思いでクリアして、いざ京王線の最寄駅へ。えーッ!この駅には駅前から改札への階段や通路にも改札からホームへ行くのにも、エレベーターやエスカレーターが全く無い。長女の為に文化祭だ演劇部の発表会だと、今まで何度かこの街には来ていたのだが一度も意識したことがなかったなぁ。
とにかく電車に乗ろうとホームへの階段を上りはじめるが、丁度快速が来る時間らしく、若者たちがすり抜けるように駆け上がって行く。ホームは人で一杯。昼過ぎなのにまるでラッシュアワーのようだ。とにかく混んでいる快速は避けて各停で新宿へ。

終点の新宿に電車が着いた。出遅れた私にお構いなしに、洪水のように乗客が押し寄せる。終点=始発だから当然座席は空いてるわけだが、誰もが無意識に我勝ちな席取り合戦に熱中しているのがよく分かる。ほんの4ヵ月前まで自分もあんなものだったろう。

さて、さすがは新宿。エスカレーターもエレベーターも完備の街。
とりあえず、エスカレーターの人の列に付いていけるか挑戦。難無くクリア。次に新宿の人ごみの中を泳げるか?これは杖のおかげか、向こうが道を譲ってくれるのでクリア。
ただ一つ難題は、意外なことに道路に敷設された「黄色い盲人用の通路プレート」だった。あの凸凹が麻痺した足のつま先に引っかかって、躓き転びそうになるのだった。
障害を持つ身体部位によって、役立つものと邪魔になるものがあることを身をもって知った1日だった。良い社会勉強になりました。
この試練に感謝!(とか言いながら、病院に戻ったらリハビリの先生方には、調子付いて長距離を歩いて、カチコチに緊張してしまった筋の状態に、週明けに呆れられてしまうことだろう)

またもや外泊!

2006年3月9日 日常
明日は朝から長女の卒業式。入院中の身とはいえ、人の子の
親としては自分の体調などかまっていられません。とにかく
病院に外泊届を出して、ソッコー舞い戻ってまいりました。

往路、復路共に、徒歩と電車を乗り継いで、4月からの社会
復帰を占ってみようかと思います。
長距離の外出で「カチコチ」になるであろう筋肉を、週明け
のリハビリで先生方にほぐしてもらうのが楽しみです(w

**みなさま、温かいコメントありがとうございました**
またまた週末一時帰宅しております。
入院生活も早や4カ月目を迎え、シャバの現実世界は我が身に
どんな具合に変化したのか不安がアタマの片隅をよぎります。
ヒマなのでTVニュースの社会情勢はいろいろ入ってきますが、
さて我が身の上には現実世界に戻った時、何がどんな形で襲い
かかってくるのか、全くもって分かりません。

とりあえずは、4月からの社会復帰を果たすべく、リハビリに
日々励むしかないのですが、なまじアタマがクリアーなだけに、
左手足がその日の調子によって思うように動かないのは本当に
ストレスになるものです。

病院の完璧な看護体制の下(温度管理から什器の高低、寝具の
スプリング調整までが見事に患者側の快適さを追求している)
では、それほど日々の体調の変化は感じないし、毎日のリハビリ
の効果で快方に向かっている実感があるものですが、いざ外界の
寒い風に晒されてみると、まだまだだなぁと実感します。

ただ退院が迫って来ると、一時帰宅で少しずつ外界に慣らして
いく病院サイドの考え方は大正解だと思います。
もし退院してすぐ本格的に社会復帰しようなんて甘い考えなら、
そのギャップに押し潰されて、今度はたちまち「鬱病」になって
しまうだろうしね。
ほんと久しぶりの日記です。
実は11月19日(土)の夜、脳出血を起こして
救急車で病院に搬送されました。
幸い頭蓋骨を開かずに済みましたが、左半身
は麻痺したままで、リハビリに励む毎日です。
今日、大晦日に3日間の一時帰宅が許されて
この日記を書いていますが、どうやら脳には
異常がないようです???
定期健康診断の結果が悪かった時に、素直に
医者の指示に従わず、自分を過信したばかり
に、一瞬ですが鬼籍に足を踏み入れるところ
でありました。
では皆様、良いお年をお迎えください。
鈴木宗男議員の外務省追及の姿勢が激しさを増している。
自民党にいたときは、いろんなしがらみから、ここまで
厳しい追及はできなかったんだろうなぁ。

さぁ、他の離党した「亀井先生」たちも、いつまでも
打倒小泉でネチネチと恨み節言って復党の策略ばかり
練ってないで、いさぎよく下野して真に国民の幸福を
考えて、ムダガネの暴露と整備に全力を注いでほしい
ものですな。
楽して大金は稼げない!
ならば、楽しい仕事をしようじゃないか。
仕事の価値を時給換算していてはダメ!

お帰りなさい「雅さん」。お久しぶりの書き込みで。

全部消えた!

2005年11月3日
またまたPCダウン!
復旧するも貯めこんだファイルが消えちゃった。

遅すぎるぜ!

2005年11月2日 恋愛
雑誌の記事に、「個人ホームページやブログを立ち上げて
自分の名刺やメールにアドレスを入れておけば、取引先に
自己PRの有効なツールになる」なんて書いてあったけど、
そんなのデキルビジネスマンは、普通に5年も前から実行
してるよね。

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