それは墓を作ることだ。
先祖のため、愛する人のため、自らのため、墓標を建てるのは人類だけの行為だろう。

その他のことは大抵動物と共通だ。
誕生→ 成長→ 恋→ 生殖→ 巣(家)作り→ 出産→ 子育て→ 死
人間ほど複雑な感情でなくても、愛情も快楽も動物にだってあるみたいだしね。

で、もうひとつ「学を修める」ということも人類にだけ許されたこと。決してただ単に学校を卒業することではなく、生涯学び続けなければ、せっかく人間に生まれたのだから、短い一生もったいないよね。

追記

2007年2月18日 グルメ
昨日昼食代わりに行った「くぼ田」を、ネットでいろいろサーチして見たら、けっこうみんなブログに書いたりしてるんだね。それから、あのラーメン評論家・石神秀幸氏も絶賛していたんだね。大概の場合、マスコミに紹介されると、へんに商売っ気を出したり、自分を見失い勘違いする亭主が多いなかで、あれだけスタンスを崩さず、ただ黙々と東京のはずれの町のこれまた路地裏で、麺道を追求している姿は、アッパレ!というしかない。ますます再訪したくなった。

↓石神氏のブログより「穴場中の穴場」のところです。
http://blog.excite.co.jp/i-ramen/m2006-06-01/#2620179
「くぼ田」は久々に完食した、ラーメン界の彗星である。
本当にうまいラーメンに、このところ出会わなかった。
トンコツだの背油だのこってり系か、塩味の単調なあっさり系スープのオンパレードで、TVや雑誌が「深みのある味だ」なぞと囃し立てるものだから、ますますワケのわからぬ亭主とマスコミに操られたもっとわかってない客の薀蓄でラーメン界は混沌の極みにある。

そもそもラーメンとは、麺とスープの絶妙な漫才のごとき掛け合いを味わうもので、流行のラーメン屋はシェフ気取りの亭主が、チャーシューや他の具材に懲り過ぎというか、本来の姿を誤魔化しているものが多すぎるのだ。

そんなところに、件の「謎の整体師」に教えてもらったのが、この店だ。本当にうまい店というものは、相変わらず路地にひっそり店を構えて、地に足のついた仕事をしているものだ。黙々と食らい、最後の一滴まで飲み干してしまう、完璧な味わいだった。

↓なんとネット上に紹介されていたので貼っておきます。ご賞味あれ!
http://www.geocities.jp/ramenjiyuku/m.tama.kubota.html

http://tokyo.gourmet.livedoor.com/restaurant/comment/21831/Default/1/
の筆頭は、やはり地方出身者があこがれる「都会の持ち家」だろう。

一般庶民レベルでは、東京でまともな一戸建てに住もうと思えば、最寄駅から遠くて、通勤不便なことをまずは覚悟しなければならない。ならマンションでもと考えるのだが、どこも表面的な見た目はいいけど、素人目には判らない安普請の欠陥だらけの建物が相変わらず横行しているのが現実だと建築業界の友人はいうしね。

家賃を払うより安い月々の返済!なんておバカなコピーが踊るけど、少ない頭金で長期ローンでも組んだ日にゃ、利息だけでいくら払うのよ。まぁ、一括現金で買うか、よくいって5〜10年でローンを払い終える、または会社の福利厚生利用や親族から無利息で資金or土地を調達(これとても贈与税の対象になったりしてね)することができなけりゃ、まったくローンの利息を銀行に納めるために働き続けるハメになる。

もちろん自分の家だから、修繕費だって、固定資産税だって、全額自己負担だしね。意外と今の家は老朽化していくのも早いと聞くし、外国の家や奥飛騨の旧家みたいに100年も200年も子々孫々の代まで住み続けられるなんてことはありえないわけで、ローンを払い終えたころには商品価値のないあばら家に、銀行に養分を吸い尽くされ、干からびた老夫婦が2人なんて図式は絶対イヤだと思い、やはり建売住宅やマンションを買うのはやめてせっせと貯蓄に励むことにした。そして年金生活を送る頃に、ポーンと即金で田舎に注文住宅を建ててのんびり余生を過ごそうと、わが夫婦は久々に意見が一致したのだった。銀行にとっては一番イヤな儲からない小口客だろうね、ったく(w

ついに脱出?

2007年2月9日 日常
ようやくGEEにもmixiの招待状が届いた。
このシマから脱け出す時機が到来したか(笑
の市ヶ谷と代々木にある物件を2つ内見してきた。それだけ
まもなく、退院して1年になろうとするのだが、ここにきて急に具合が悪い。
リバウンド?寒いから?

舌禍

2007年1月31日 時事ニュース
どうもエライ御方になると、つい口が過ぎるようになってしまうようだ。しかも、自分より弱い立場の者に向かって、特に容赦ない言葉を発してしまう傾向になるのが常だ。今回の柳沢大臣もしかり。小人が、思いもよらずに得た「権力」に酔ってしまって、あっという間に転げ落ちる典型だね。
「他山の石以って玉を攻むべし」
あややでも淡谷のり子(古っ!)でもなく、東急東横線の武蔵小杉駅で発車直後に、車掌のミスで全車両の右側のドアが一斉に開くというトラブルが起きていたんだって。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070127-00000301-yom-soci

東急によると、トラブルはラッシュ帯の午後6時ごろ、渋谷発元町・中華街行き下り通勤特急電車(8両編成)で発生した。
車掌がドアを閉め、運転士に出発の合図を出した後に、ホームに残っていた客を乗せようとしてドアを開けていた。
(YOMIURI ONLINE引用)

てか、最近の武蔵小杉は再開発が進んで「きれいなネーちゃん」が増えたからなぁ。よくあるパターンだよこんなこと。これまで事故が起きなかったのが不思議なくらい、各社とも乗務員の横暴はまかり通っているよ。乗り遅れた客が、中年オヤジだったら、まず冷たくドアは閉まっていただろう。鼻の下のばしたバカ車掌がよくやることさ。まぁ、大事故にならなくてよかった。

全鉄道会社には、これを機に社員教育を徹底してもらいたいものですな。ついでに、「女性専用車両」は「障害者・老人・子供の男性」にも乗車の権利がある(国土交通省見解)ことをはっきりアナウンスしてほしいものですな。すべては、愚かな「似非フェミニズム」から派生していることに気がついてほしいものですな。
さてと、今日は2007年最初の給料日ということで、会社の連中と新年会かたがた(ま、公式な新年会はもう済んでるんだけどね)夜の街に繰り出すことになった。

たまたま、夕刻に代官山で仕事だったので、僕らは直帰することにして、18:30集合で他の連中も誘い、渋谷・宮益坂のりそな銀行地下にある、居酒屋・天狗を皮切りに痛飲した。(まだ東京に不慣れな奴がいて、ここならなんとか辿り着くだろうってんで、一次会の場所に決めたのよ・w)

二次会からは精鋭集団3名となり、その彼のために、「ホットペッパーには載ってない東京案内」ということになったわけ。

以下、その珍道中の経路であーる!

渋谷・天狗
http://www.teng.co.jp/

渋谷・野川(ホームページが無いので他人のサイト拝借)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~idea/diary/diary129_fl.htm

新宿・バガボンド(1F)
http://www.vagabond-shinjuku.com/

高田馬場・フィドラー
http://www.thefiddler.com/index_j.php

高田馬場・バー信
http://homepage2.nifty.com/nobu-takadanobaba/

これだけ行って、ちゃんと電車で帰るんだから、殆んど梯子酒するのが目的だね(笑)

からゆきさん

2007年1月21日 趣味
かつて日本が貧しかった時代に、否、いつの時代でもそうなのだが、貧困層に生まれたばかりに「小さな幸福」をつかむこともなく死んでいった、うら若き女性たちがいた。なかには病に倒れ、まだ息があるにもかかわらず、ワニの餌にされた者まであったというから酷いものだ。

http://www.karayukisan.jp/index.html
*「からゆきさん」に関するHPリンクです。ご一読ください。
(画像は映画「サンダカン八番娼館 望郷」より)

それなのに今、その逆のことを容認してしまい、「じゃぱゆきさん」という言葉まで生んでしまった、さらには海外へ買春ツアーに団体で出かけていく、この国の男たちはなんと厚顔無恥なのだろう。

あるいは、この国の歴史をきちんと教えて来なかった、教育的「無知」から来るものなのだろうか。生まれた以上は逃れられない「性衝動」ではあるけれど、せめて次の世代には真正面から考えてほしい。

そして、幼女や少女に対する虐待や援交問題をはじめとする、あの時代と全く変わらず「力」と「金」が最優先される、歪んだ社会を見つめなおしてほしい。

いずれにしても、歴史の真実に蓋をして来た、日本教育行政の結果として、現在の日本国民の御乱行につながっているのは否めないことだろう。
今日は3連休の中日。家族はみんなそれぞれ思い思いに遅い目覚めです。

で、ランチは外食にしようということで、高田馬場にあるロシア料理店「チャイカ」さんに行ってきました。ここのランチコースは2,000円で、そのボリュームからいっても、かなりリーズナブルなのです。成長期の子供たちも、焼肉屋よりもよっぽど楽しめたらしく、充実した時を過ごせました。
http://www.chaika.co.jp/

夕御飯は、お決まりの「七草粥」です。
これまた毎年恒例の行事で、大きな土鍋で白粥を炊き、そこに新鮮な七草を入れて食すのです。あぁ、満腹!
http://recipe.gourmet.yahoo.co.jp/U000606/

考えてみれば、去年は病院で一人、リハビリに励んでいたのだなぁ。ほんとうに何気ない日常の幸福だけれど、倒れていなかったら未だに気がついてないのだろうな。

ということで、今日はお腹の中で「ロシア」と「日本」が仲良くしているわけです。

代官山

2007年1月4日 日常
のチーズケーキファクトリーに併設(?)されている、Drogaさんというインテリア雑貨のお店に、おやじ4名で行ってきましたー。

http://www.cheesecake.co.jp/

http://www.droga.jp/top.command?request=init

というのも今度、担当雑誌の読者プレゼントで廃盤間近の商品を提供(?)してくれるということで、ロケハンに行ったのです。店内でいろいろ物色する4人のおやじはさぞかし場違いな感じだったろう。営業妨害に近いものがあったかもしれないね。

最後にN.Y.チーズケーキとアールグレイをいただいて店を出たのだが、やっぱりおやじには焼き鳥とビールが似合う気がするなぁ。
新年ですね。
なんだか信じられない気分です。思い起こせば昨年の元日は、車椅子に座っていたのですから。ほんと激動の社会情勢とともに、自分自身にも大変化のあった年でした。

何につけても、pureな自分を取り戻せたことが一番の収穫だったと思います。東京に出てきてから、ここ20年ほどは社会的、経済的には一見豊かな生活でも、心はpoorそのものだったなと、この1年でゆっくり歩くことを覚えてから痛切に感じました。

意外や病に倒れたおかげで、家庭の平和も取り戻せたしね。あのまま突っ走っていたら、将来きっと定年の時を迎えて即日、離婚され、子供たちにも見離されて、孤独で寂しい老後になっていたのだろうな。その時の我が姿を想像しただけでも切なくなるね。

で、今年の抱負!
まずは、「完全2足歩行」を目指す。まぁ、これにつきるでしょうね。休日には妻や子供たちと野山へハイキングに行きたいな。そして、野辺の草花や路傍の石と絵筆をもって対話したいな。ささやかながら、これが今年一番の希みです。
今年もあとわずか。
人生で最大のピンチ、生死にかかわる年でした。
でも生来、楽天的なGEEは、どんな時でもマイペース。
状況適応能力、変身の早さは誰にも負けません。

自分の中にある理想的な生き様を失わない限り、どうということもない。
経済的に潤い、ブランド品で身を固め、高級車に酒池肉林(一通りは体験してきた)という俗物的なカッコ良さには元来興味が無い性質なものだから、全然精神的に落ち込むことも無かったな。
(※いわゆる美食ではなく、旨いものを探し当てて、食べ歩くのは大好きだけどね。でもエレベータの無いビルの中に目指す店があると絶望的になるね。我が身が不自由になってつらいのはそこだけかな・笑い)

この世に生を受けて半世紀を振り返る時間を持てたことに感謝しなければなりません。
そして、なぜ今生かされているのかを肝に銘じて、自分を律していかねばなりません。
人間って、その立場に近くなると考えることは同じらしい。

今年の夏、母が肝臓癌を患って、しばらく東大病院に入院していた時、或る日たまたま、JR御茶ノ水駅から東大構内行きのバスに乗り換えて見舞いに行く機会があった。

GEE自身が身体障害者となり社会復帰して半年位だったから、駅自体がとてもハードな造作で「この駅は健康な若者の為にできた駅だな」という思いだったんだけど、やはりニュースネタになったんだね。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/barrier_free/?1167215164

yopparai!

2006年12月21日 日常
酩酊中!
身障がこんなでいいのだろうか。
間違いメールをした人、ごめんちゃい。
明日も高田馬場で飲み会です。

そんでもって

2006年12月19日 日常
去年の今日19日は月曜で、リハビリ病院に転院したのだけれど、確かに予測どおり同室になった皆さんといい、他の患者さんといい、うーむと唸りたくなる個性豊かな方ばかりで、戸惑いを覚えたけれど、院長先生や看護師の皆さん、担当してくれるOT、PT、STの先生方の立ち居振る舞いに、車椅子の僕はなんだかほっと安堵したのだった。
去年の12月18日は日曜だったんです。
ちょうど1ヵ月前、11月19日土曜の深夜に脳出血を起こして担ぎ込まれた病院で過ごす最後の夜。翌日から転院するリハビリ病院での生活に不安がいっぱいでした。ここでは我侭言い放題で、個室でお気楽生活を送ったけど、明日からは4人部屋で集団生活になると聞かされていたのです。
社会復帰への第一歩なんだからしようがないのよ、と妻にも言い聞かされていたがなんだか納得できなかった。その日は当直の看護師さんが仲良しになった人たちばかりで、余計に寂しさが募った。
でもみんな替わりばんこに病室を覗きにきては、落ち込んでいる僕を励ましてくれたなぁ。あれから1年。時の過ぎるのは早いものですね。皆さん本当にありがとうございました。

1702年

2006年12月14日 日常
「時は元禄の世。雪が深深と降る夜の闇を抜けて、赤穂四十七士が主君の仇、吉良上野介の屋敷に討ち入った」のが今夜だよという話をワカモノにしたら、キョトンとされた。そういえば、1941.12.08の話を先週金曜にした時も、なにそれ?といったワカモノもいた。
ほんと、これが実態というくらいに、日本史はまったく教えられていないのだ。人気タレントが大河ドラマか映画で主演でもしない限り、自分の国の歴史にさえ関心がないワカモノのなんと多いことよ。

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