去年の今頃は入院していたんですな。まだ歩けなくて、ベッドから車椅子に移動するのも一苦労だったんだよね。杖と装具は相変わらず外せないけど、あの頃から較べれば随分良くなっているんだよね。感謝しなけりゃね。
また取材で、温泉はなし!スーパーコンパニオンもなし!(当たり前か)だったが、今回はお昼においしい「ほうとう」を食べ、お土産に銘菓「月の雫」を買った。ちょっと山梨を見直した(爆笑)

「ほうとう」↓
http://www.s-recipe.com/local/vol20.html

「月の雫」↓
http://www.okashi-net.com/meika/kk/tukinosizuku.html

日曜まで単身者

2006年11月23日 日常
退院して半年も経つと妻も安心したのか、大阪の実家に母親の介護&大学の同窓会(正しくは母校の学園祭で旧友たちと会うらしい)に出かけてしまった。

僕はというと、とりあえず明日は仕事(といっても殆んど一日、東大地震研究所のセミナー受講なんだけど、医学部棟にあるカワナ食堂の特大海老フライ定食=なんと980円!市場価格から見ると血税からの補助金は1,000円位か?)が楽しみだわい!なもので、東京に居残りと相成った。

倒れて1年の間、それまでの僕の行い(倒れるまでの自分勝手な振舞いと、入院中に沸いて出た数々の悪行)にすべて目をつむり、本当に良く尽くしてくれた。普通なら即、離婚されても仕方ない典型的なパターンだった。

そんなこんなを乗り越えて、お互いに久しぶりに自由行動を楽しもう!てなわけかな。

一周年

2006年11月19日 日常
昨年11月19日土曜の夜に自宅で倒れて、丸一周年になる。昨日は精密検査を受けてきた。

まだ身体は完全に復調してはいないが、ともかくもこの一年の間、精神的に支えてくださった医療関係の皆さん、会社関係の皆さん、それから友人たちと我が家族に感謝!
今夜は大学のOB会でした
東京経済人倶楽部っていう、俗に言う一流企業の社長やら役員ばかり100人ほどが会員のOB会に、なぜかGEEは若輩ながら(ついでに今や完璧に社長でも取締役でもない場違いなサラリーマン&身体障害者・笑)メンバーにしてもらっているんだけど、今夜はその総会で、毎度お決まりの今年の活動報告・決算報告、来年の活動計画・予算計画、役員改選なんかがあったわけ。

で、最後に特別講演があり、日本IBM特別顧問・後藤健先輩のお話があったんだ。ほんとにいい話が聞けた。その時代には安定した重厚長大産業の一つだった鉄鋼会社を辞めて、当時は赤字会社の日本IBMに飛び込み(新聞の三行広告を見て応募したそうな)、大企業に育て上げた現在に至るまで、グローバルな企業人として、一人の人間として成長していった姿、全くブレることのない背筋の通った日本人としての人生観(右翼思想じゃないよ!)が聞けて、感動した!(なんか本名で書いちゃったけど赦してくださいね先輩)

寄らば大樹の陰、ブラ下がり主義な、自分のアイデンティティーさえ忘れた、組織のグチばかり言って溜飲下げてる、社畜連中に聞かせてやりたかったね。

場所柄、決してマスコミ向け、大衆向けの精神論やリップサービスなことばかり言う、そんじょそこらの無責任経営者の公式発表ではない、とても奥深い話だった。

IBMと言ったらICBMと間違われて、軍需産業でミサイル売ってる!と思われたというくだりには笑った。時代を感じますねぇ。米ソ冷戦も遠くなりにけりですな。

どーだ、キミも聞いてみたいか?講演依頼は、GEEエージェンシーに!なーんちゃって(古っ)
ご他聞にもれず、撮影の仕事だけどね。温泉にはいれたわけじゃないしね。
でも、石和温泉って駅に着いた瞬間、うーん、なんにも無い!て感じだったね。プライベートで旅行に来ようとは思わない、時間の経過とともに疲労ばかりがたまっていくところだった(うん、仕事だからね・笑)。帰りは思わず八王子で途中下車してうろうろしちまったぜい。
石和生まれの人にはごめんなさい!としか言いようのない率直な感想です。

辛い思いをした

2006年11月7日
今日えらく空いてる電車に乗ってたら、知的障害者の女の子がカラーコピーした地図を持って乗り込んできたんだ。

あたりを一通り見渡して、3人ほどいたGEEたち中年のオジサン族に聞くのは怖かったのか、一番年齢の近そうな娘の座っている席に行き、その地図を差し出して、この電車でいいのか、何番目の駅で降りたらいいのか聞いている。なんだか微笑ましい風景がそこにはあった。

ようやく聞き終えて安心したのか、女の子はその娘の隣に腰掛けて、なにか話しかけようとした次の瞬間、今まで親切に教えてあげていた娘が、さっと立ち上がって隣の車両の席に移動してしまったんだ。

女の子はひどく哀しそうにうなだれ、GEEたちオジサン族も一変してしまった空気の重さにとても辛い思いだったけど、どうすることもできないまま、電車はただ次の停車駅に向かって走るのだった。

別に宗教の勧誘を始めたふうでもなかったのになぁ。それがきっかけで親友にならねばならぬわけでもないのになぁ。

GEEには理解できない昼下がりの出来事だった。

B級グルメ

2006年11月2日 日常
B級グルメ
今日は午後から校了作業で、凸版印刷板橋工場へ。で、帰路が巣鴨経由だったんだ。夜は、派遣さんの歓迎会の予定だけど、まっすぐ帰社するには中途半端に時間が空いたので、ちょっと駅前のコージーコーナーでケーキセットでも食べようということになったわけ。

メニューを見てたら「当店限定メニュー」が1枚はさんであって、なんとそこには鳥から揚げ&おにぎりにスープのセットメニューが燦然と写真入りで輝いているではないか。「コージーでおにぎり」というシチュエーションに迷わずオーダーしてしまったのでした。

いやぁ、巣鴨ってほんといいですね。

もうすぐ1年

2006年11月1日 日常
11月に入った。
去年倒れてまもなく1周年。昇天していたら1周忌の法要になっていたところだ。まだ完全復調には程遠いが、どっこい生きてるぜ!って感じかな。

五体満足ではない自分が現実ここにいて、今まで味わえなかった苦しみや悔しさを覚えたり、自分なりに工夫して不自由さを克服していく達成感は、何ものにも代えがたい人生経験となった。

もがき苦しんでも、生きてるってことは本当に素晴しいことだと、心の底からそう思う。
こんなうれしい話はないよ!
「愛はすべてを赦す」が11月1日に再発されるんだって。
18年前にCD化されていたのを知らなかったGEEは買いそびれたまま、1982年の発売以来ずっと擦り切れたレコードで聴いていたのだ。初版CDはヤフオクで一時1万円も値を付けて取引されていたほどの名作中の名作。音楽ファンを自負するなら、特に普段「外国のアーティストしか聴かないよ」という人は、ぜひ聴いてみて。

作品情報は下記に詳しく記されています。
http://www.tokiko.com/discography/disco_1980/disco1980_aiwasubeteo.html
http://gowest.info/album0001_aihasubetewoyurusu.htm
西武新宿線の通勤タイムは、本当に矛盾だらけ。
特に「女性専用車」なんて作ったのは誰だよ。そりゃ、最初こそ物珍しさで受け入れられて、女性の皆さんもこぞって乗車していたさ。けれど、今や流行遅れのファッションみたいなもので、乗ること自体が恥ずかしいらしく、座席にすわれなきゃ、自分の降車に都合が良いところに乗り込むものだから、他の車両が以前にも増して混むようになってるんだぜ。

ここは、現実に即して「優先車両」に変更して、1.妊婦・乳幼児連れ、2.障害者、3.怪我人、4.幼稚園、小学生児童、5.老人に開放するようにすれば解決するだろうに。

でも、西武鉄道の企画部はこの現実にきっと気がついてないんだろうなぁ。(京王線なんかとうの昔に変更実施してるんだけどね。担当する人の働いている場所の違いなのかな?それとも現場からの意見が上がらない硬直した組織なのかな?)

四万温泉

2006年10月18日 日常
不動産オーナーセミナー撮影の仕事で四万温泉に行ってきました。

朝は5時起きで準備して、7時32分東京発のJR新幹線⇒高崎で特急草津1号に乗り換えて中之条駅到着が9時22分。そこからまた路線バスで40分かかってようやく目的地、四万区ランドホテルに。11時には、観光バスでセミナー参加の団体さんがやって来るので、その準備に取り掛かる。

さぁ、本番。1時間ほどのセミナーを撮影して、次は宴会場へ。ここでも引き続き食事風景を撮影。1時間あまりして、皆さんが温泉につかりにいってる間に、我々も食事。宴会場の片隅に同じものが出されはしているが、すでに椀物は冷め切って、刺身の類いは乾いている。でも空腹には勝てませぬ。急いで食べて、ビデオ編集時のオカズにする戸外の風景を撮影に行く。

そうこうしている間に、もう15時だ。ホテル前から観光バスが次の目的地、上州物産館へと出発。それを見送り、我々の仕事は終わり。

温泉にも入らず、今朝とは逆コースでトンボ帰り!嗚呼むなしいなぁ、仕事とはいえ。
さらにもう一発カウンターパンチ!「来週もまた来るんですけど、料理の内容とか変わるんですか?」とホテルの人に聞いたら、「いえ、同じもので承っております」と軽くいなされてしまった。

それはそうと、四万温泉って、NHK朝の連続テレビ小説「ファイト」のロケ地だったんだって。全然知らなかったよぉ。本仮屋ユイカ(スゥイングガールズでトロンボーン吹いてた娘)ファンのGEEとしては不覚じゃ!

来年当たり、プライベートで来ようかなぁ。誰か一緒に行ってくれる人はいないかえ?

「ファイト!」関連HP
http://www.nhk.or.jp/drama/fight/

「四万温泉」関連HP
http://www.pref.gunma.jp/fight/shima/index.html

玉砕!宅建試験

2006年10月15日 日常
宅建試験を受けてきた。あえなく玉砕!

帰宅してから自己採点してみたが、50点満点で半分しか出来てなかったよ。ボーダーは33点ということだから、絶望的だね。
しかし、すっかり試験会場の雰囲気に飲まれてしまった。中央線武蔵境駅にある亜細亜大学の大教室での受験だったんだけど、最初の30分くらいは、東京の大学に初めて受験にやってきた片田舎の高校生だった頃みたいに、頭の中が真っ白になっていたなぁ(笑)。考えてみれば、受験なんてこと自体が、何十年ぶりなんだろう。

まぁ、去年倒れてから半年間の入院中は何も考えないようにしていたから、春先に退院してから受験までのこの半年間は良い意味で脳への刺激にはなったようだ。受験を勧めてくれたうちの副本部長や、応援してくれた会社の皆さんにも感謝しなくちゃね。(ほんとは、最初のうちは、なんでこの病み上がりに勉強しなくちゃならんのだ!身体も辛いんだぜ!と逆恨みしてたこともあったんだけどね・笑)

とにかく今年はこれで終わったけれど、来年もう一度挑戦してみよう。
自分自身の弱点もよく分かった気がするしね。

ちなみに来年GEEのライバルになってやろうという方は下記URLをご覧あれい。
http://tokagekyo.7777.net/takken/
もう旧聞に属しますが、愛媛で嫌なニュースがありましたね。
男性腎臓患者が、愛人である女性の知人から、腎臓の提供を受けたという話ですよ。これだけだと美談に聞こえますよね。でも、欲と金が絡んでくるから、マスコミの格好のネタにされてしまうのです。結局、表沙汰になって提供を受けた側が逮捕され、担当医まで実名報道される事態にまでなってしまいました。

もともと愛人は、その知人に貸していた300万の貸金を棒引きにした上で、さらに謝礼に200万の現金を上積みして高級自動車まで買い与えるという条件だったそうです。きっと知人も、そこまでしてくれるならと思い切ったのでしょう。ところが蓋を開ければ、何をケチったのか、30万の現金と中古車だったのですね。そりゃ怒るわな、マスコミにリークするわな。愛媛県警に訴えるわな。(まさかとは思うが、借金棒引きも反古にされて、30万は利息代わりに取り上げられてたりして)

本当は闇から闇に上手く事が運び、みんなハッピーだったはずの出来事が、人間のちょっとした[欲]というものがこんな事件に発展するという典型的な事例だったように思うのは私だけ?
今年の数値は劇的に変わったらしい。
すべてが健康体そのものなんだって。そりゃ半年も入院してて、体重だって14キロも落ちたんだから、当たり前っちゃあアタリマエだわな。
「ま、あとは節酒して、リハビリに励むことですな」とは、担当医の言葉。イタイとこ突いてくるなぁ(w
データはもうすぐ自宅に届くから、昨年の分とじっくり見比べてみよーっと!

******************************************
吉田先生、風邪は大丈夫?って、いくらなんでも
もう回復してますよね。若いんだから!
患者さんたちのアイドルなんだから、ファン(w
のみんなを寂びしがらせないように、身体には
くれぐれも気をつけてくださいね。
丹波哲郎さんがついに逝ってしまわれた。
今は亡き奥様の貞子さんのいる大霊界に。

ここしばらくは、体調を崩されていて、以前の取材で蓄えた録音から原稿に書き起こすという作業で、GEEの担当雑誌の連載コラムもお茶を濁していたのだが、もうあの一種独特な語り口調が生で聞けないのは非常に残念なことである。

そういえば、かつて荻窪のご自宅で取材していた時、女性インタビュアーと丹波さんが盛り上がっているものだから、つい、勝手知ったる丹波邸とばかりに、丹波さんに断りも無くトイレに立ったら、
「君たちは本番中にトイレに立てるが、僕はそうはいかないんだ」
と真顔で憤慨なさったこともあったっけ。

GEEはその時から、プロフェッショナルという言葉を意識しはじめた。
本当にいろいろなことを教えていただいた人生の師でありました。合掌
かと思ってた!ことが現実に間近で起きたことはありませんか。
というのも、23日は秋のお彼岸というのにGEEは朝から池袋の明治通り沿いにある資格学校に宅建の講義を受けにいったわけですよ。前日の残業がたたってか、午前中は眠くて眠くて、ほとんどうわの空だったですよ。当然、午後の直前答練も悲惨な得点だったとです。あ〜ぁ、今年の合格は無理かなぁ。

でそれは置いといて、昼休憩の出来事。食欲もわかないし、とりあえず自分で食事量が調整できる(どうも出されたものを残すことに抵抗がある貧乏性なものですから)回転すしでも食べようかなと思い、筋向いの店内に入ろうとしたら、かなりヨボヨボのおじいちゃんがスッと割り込んでGEEの前に。店員さんは、後に続いて入って来た足の悪い杖をついたGEEを見て、そのおじいちゃんと二人連れと思ったらしく「お二人様、そちらの並びのお席が空いてます」と元気に案内してくれた。

ま、いっか!とおじいちゃんの隣に座ったのだが、どうやらおじいちゃんは回転すし初体験らしく、固まったまま動かない。

GEEが湯呑をとって、粉茶を入れて、給湯器から湯を注ぐのを横目で見て真似しはじめたのだが、おじいちゃんは湯呑を下に置いて給湯器のレバーを手で押そうとする。
「おじいちゃん、やけどしちゃうよ。こうするんだよ」と手順を教えてあげて、事なきをえたが、さらに信じられないことが起きた。

そうです。ご想像どおり、おじいちゃんはやおら回っているすしを直接割り箸で取ってほおばりはじめた。さすがにこれは店員さんがすぐに気付いて制止したが、本当にこんなことってあるんですね。敬老の日に続く、秋分(お彼岸)の日だっただけに、思わずどこかでテレビカメラが回ってるんじゃないか?と、店内を見渡してしまったGEEでした(笑

おじいちゃん、日記ネタにご協力ありがとうございます!
ところで皆さん、困っているお年寄りには親切にしてあげましょうね。
もしかしたら、番組ネタになっているのかもしれません(爆

***********************************************
吉田先生へ
コメントありがとうございます。皆さんお元気ですか?
相変わらずお仕事は大変そうですね。患者さんは入れ
替わって行くんだろうけど、当然コミュニケーション
も最初からやり直しですものね。一度、暇を見つけて
陣中見舞に伺いますかな、新しい音楽DVDでも持って。

2006年9月3日 日常 コメント (2)
人生のなりゆきは全くその「運」によって決まる。
あせって掴もうとしてもいけないし、時機を逃してもならない。

邪念をもって、他を蹴落として天下を取ろうとしても長続きはしない。現時点の立場に愚痴をこぼしているばかりではなにも光は射してこない。自らを練磨し続けた者にだけチャンスはやってくるのだ。

生きてても死んでる人がいる
死んでも生きている人がいる
生死を越えた人がいる
それは生きている間
生き切った人であろう
そうありたい  (片岡鶴太郎)

こうした言葉を微塵の照れもなく語れるようになった時、人は真に変われるのだと思う今日この頃である。

再び生かされたこの身体に感謝して、何かしら役に立てる人間でありたい。救急隊員にはじまって、手術を担当してくれたドクター、リハビリを担当してくださった先生方、看護師の皆さん、現在の整体師の先生まで、この1年近く、多くの医療関係者の誠実な対応に支えられてきて、そう思う。

アルコオル

2006年8月27日 日常
最近ちょっと調子に乗って飲み過ぎである。
会社帰りに連れ立って飲みに行くことが多くなった。1年は飲まないようにとの医者の言葉なんて無視なんである。案の定、身体の状態は良くない方向へと突っ走っているかのように、軋みを生じ始めている。週末になるともう限界に近い。金曜の夕方には最早、飲んでなくてもろれつは回らなくなってるし、手足の麻痺も極限だ。土曜ともなると、朝は起きれないのは当然として、昼を過ぎてもまだ寝床から這い出せない。例の学校や通院がある時は何とか9時頃には起き出して用意はするが肉体と精神は全くバラバラなのだ。そんなこんなで日曜の整体は毎週通うようになってしまった。もういい加減にしないとまた病院に担ぎ込まれる日も近いように思えてきた。リハビリの日々はとても楽しかったけれど、今度は助かりませんよ!と先日も医者にきつく言われたことだし、今日27日の末娘の誕生日を機会に、自重することにしようと思う。

大洪水

2006年8月20日 日常
金曜日の早朝6時過ぎだった。
前日遅くまで仕事(半分は飲み・笑)だったが、いつになく目覚めも良く、めずらしく朝シャワーをしようと思い立ち、気分よくシャワーを浴びていたら突然、家中が停電した。

次の瞬間、ドドゥッ!とものすごい勢いで水が流れる音が戸外でしている。何が起きたかも分からないまま、とにかくパンツをはき、様子を見に。どうやら玄関脇の給湯器が壊れたようだ。大量の水が外廊下に溢れ出している。ブレーカーは落ちているから感電の危険は無いと判断して、とにかくパイプスペースにある水道管の元栓を閉める。もうびしょ濡れである。

さて、どうしよう。今までここには新築当時から10年間住んでいるが、こんなトラブル自体が僕には生まれて初めてなのだ。(よくよく考えてみれば、なにせ大学に行こうと決心するまでの18年間は田舎の実家に仕方なく住んでたけれど、それさえも9歳の時にオヤジの事業の失敗で追われるように転居を経験しているから、10年以上も一つの場所に住み着くなんて、この年齢までなかったのだ)

何とか連絡先電話番号を探しあて、携帯で電話をかけるが(家のFAX電話はこういう時、使えないんだね)早朝のことで留守電のコールが空しく響くばかり。とにかくこのままでは会社には行けないと判断して、休暇届けのメールを入れておく。あぁ、先月以来モーレツな勢いで有給休暇が消えていく(涙

ようやく住宅供給公社と連絡がついたのが9時前の事。それから外注工事会社の作業員が「ちわ〜っす」とやってきたのがなんと11時過ぎである。もう発生から5時間経っているぜ。ここは都営住宅に併設されている都民住宅とはいえ、ウチは周辺の民間賃貸マンションと同じ相場家賃と管理費を払っているのに、納得できない気分になる。民間はもっと素早い行動をするぜぃ!

ほんとしかし、僕がいる時でよかった。夏休み中の子供たちだけの時だったら、どんな事態になっていただろうと思うとゾッとする。

でも実際、わずか5時間だけだったが、猛暑の中、水道、電気、ガスのライフラインが全く使えない状況を体験できたことは、我が家にとって、ある意味よかったのかもしれない。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 >