祈念。

2006年8月15日 日常
やっぱり、行っちゃいましたね。靖国神社参拝。
なんと理由付けしようが、公人たるあなたが出かけてはダメ。来年からにすべきです。公人のあなたが行かないことで「事の本質」を世界の人々に見据えさせるようにもっていくべきなのです。
GEEも建国記念日に某団体で参拝して経験があるのだけれど、一般人はなかなか入れてもらえない、靖国の床を歩くのはちょっと特別な気持ちになれて心地良いものでしょうが、別に一般の名も無き民になるわけじゃないんだから、私人になってからにしてほしかったなぁ。最後まで人騒がせなお方です。バカなナショナリズムにうかれて礼賛してるヤツもいたけどね。逆に諸外国に気を遣いすぎて背骨の無くなったヤツも困り者だけどね。

ところで今日あなたは、この星で生を営む住人として、世界の平和を念じて祈りを捧げましたか?
これがGEEの言いたかったことですよ。
61年前の広島も暑かったと聞きます。
8月5日の夜はきっと、戦争の只中ではあっても、
夕涼みを楽しんでいた家族もあったことでしょう。
翌朝08:15に恐ろしい悲劇が待っていることさえ知らず。

ピカは
人が落とさにゃ
落ちてこぬ

この言葉の重さはなんでしょう。

私たちは、人生でいえば還暦を過ぎて再び生まれ変わるこの年に、今一度「国」というものを真剣に考えてみる時を迎えているような気がします。

たとえば、左右両翼、諸外国から、かまびすしく叫ばれている靖国問題もしかりです。A級戦犯の問題を大きく取り上げて、政治的に利用しようとする輩がいるのはもってのほかです。戦勝国から負け戦の大将が賊軍扱いされるのは仕方のないことですが、今の構図はまるで歪んでしまっています。また、単純にお涙頂戴の浪花節的な物語にしてしまうのもどうかと思います。

靖国神社に祀られているのは「1853年以降の殉難者、戦死者約250万柱」です。
これは、ペリー提督率いるアメリカ艦隊の軍艦四隻が浦賀沖に来航した年から続いているということなのです。

そのころ世界はどうなっていましたか?
剣と聖書を両手に携えて、従わぬものには喉を一突き、従うものからはすべてを奪い、さらには改宗を迫り、という手法で、日本を除くほとんどの国を支配していった赤鬼青鬼と恐れられた人たちがいたのではないですか。

つまり「西欧諸国の植民地政策の大波との戦い」が始まった年からの、「日本は開国はしたけれど、絶対に西洋の覇権主義には屈しない」という熱い思いを抱きながら逝った「殉難者」「戦死者」が祀られているのです。古くは、坂本竜馬、高杉晋作、吉田松陰。先の戦争では昭和19年にアメリカ潜水艦に撃沈された「対馬丸」に乗っていた沖縄から本土へ向かう途中の1508人の疎開児童、昭和20年にソ連軍侵攻の南樺太の電話局から「さよなら、さよなら」の声を最後に交信の途絶えた女性交換手たちも祀られています。

日本の政治家のみなさん、中国、朝鮮、アジア諸国の国民のみなさん、そしてもちろん日本国民のみなさん、今一度、どこに真理があるのかを考えてください、気づいてください。なぜ、アメリカやロシアが、この問題に真っ向から圧力をかけてこないのかを。

世界が真の平和を迎えるには、相田みつをの言葉を借りて、まず自らの心に語りかけてみるしかないのです。

奪いあえば足りず
分かちあえば余る
8月になっても夏はとうとう来なかったね。
片麻痺の僕には、暖かくならないととてもツラい。

今朝も早朝会議に出るために急ぎ足で駅に向かっていたら、盲人用のプレートにつまずいて転んでしまった。ついでに股関節を痛めてしまった。

えーい休んじゃえ!
とばかりに、上司に連絡をいれ、足を引きずり杖をつき(マジで傷病兵のパターンね)家路につく。あぁ、また有給休暇が消えていく〜

まだ病院は開いてないから、とりあえずベッドに横になって時間を待つ。

先生から「やっぱり、整体とかに定期的に行って、ほぐしてもらうほうが良いね」とのこと。そんなこと言ったってこちらは平日は遅いし、土曜は学校通いだし、日曜くらいしか身体が空いてないんだよ!と思っていたら、こちらの心を見透かしたかのように、「近くに日曜もやってるところがあるはずですよ」だって。知っていても民間の整体院なんて正式には紹介できないのが医者のつらいところなんだろうか?

調べてみたら最寄駅の反対側出口のところに「にこにこ堂(仮名)」というなにやらふざけた名前の整体治療院があるではないかいな。とりあえず電話をしてみたら、なんとか1時間治療してくれるという。行ってみたら、怪しげな店構えに、これまた怪しげなオヤジの整体師が。すれちがいに近所のバアサンが治療を終えて、深々と頭を下げて帰って行くところだった。オヤジは、ふんぞり返ったまま、タバコを燻らせ、ついでにコーヒーまで飲み始めた。

あっけにとられている僕をチラと見て、問診をして来るのだが、これが見事にツボを突いてくる。整体治療に入っても、実に見事にど真ん中的中なんである。みるみる身体が軽くなっていくのが分かる。

「灯台下暗し」とは、まさにこのこと。こんな近くにこんなゴッドハンドがいたなんて。どうみても、つげ義春的漫画世界な、しょぼいオヤジ先生と店構えなんだけどなぁ。人は見かけじゃないね(笑)

9月中には杖、装具を使わないで通勤する目標もあることだし、ここはこのオヤジ先生を信頼して、しばらく先まで日曜に予約をとって治療に通ってみることに決めたのだ。

もう月末だ。

2006年7月30日 日常
怒涛の一ヶ月だった。
月初めに田舎の両親から突然電話が来て、
「東大病院に紹介状書いてもらったから、明日そっちに行くわ」
だって。

え、なんのこと?と思っているうちに、明日が今日になって、指定された時間に羽田空港の到着ロビーで待っていた。
現れたのは、車椅子の母とその横にぴたりと張り付いている老いた父の姿だった。CAが二人付き添ってくれていて、スーツケースが5個もある。まるで引越しでもしてきたかのような大荷物だ。

よくよく聞いてみれば肝臓癌の診断を下されて、こちらの病院に手術を受けに来たのだというではないか。

今まで元気に暮らしているといってたはずじゃなかったのか?
何か狐につままれたまま、大荷物と老夫婦を乗せて羽田からワゴンタクシーで西東京の自宅まで連れて帰った。荷解きをしてみると中身は母の着替えと化粧品が大量に詰まっていた。いくつになってもオンナを忘れないのは結構なのだが、毎回通院の度に洋服から靴までコーディネートしていくつもりかい?

とにかく、それから先は会社に有給休暇をもらっては通院の付添いを続けたのだった。僕は今、れっきとした身障者なので、車椅子の母を押して行くその姿は人々の目にどう映っていただろう。興味津々ではある。

我が家から本郷まで送っていくのに高田馬場までは電車で行くのだが、母は高田馬場からはタクシーに乗るのを楽しみ(というかそれが楽チンで人目がないから、プライドの高い母には心地良かったのだろう)にしているものだから、毎度その往復だけで6,000円以上かかってしまった。通算すると結構なものだ。母はそんなことは意に介した風もなく僕に頼りっぱなしなのだ。まぁ、これで親孝行をしていると思えば安いものだが。

そうして、通院検査だ、検査入院だのであっという間に月末だ。医者は高齢の母を見て手術には乗り気でない。執刀しても寝たきりになる確率が高いとまでいう。ほかにも糖尿だの心臓だの肺だのに異常があるようだ。まぁ、病院としては失敗例は増やしたくないものな。来年度の予算にも多少は関係するだろうし。分かりますよ先生。

母も観念したのか、手術は取りやめて余生をゆっくり田舎で過ごしたいといい始めた。薬を投与して進行を遅らせる治療もありだというので僕も同意した。

それで今日再び、空路で田舎に飛び立ったのだ。

ほんと、現代版『東京物語』の1ヶ月間だった。 近況報告まで

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吉田先生、おひさしぶりでございます。上記のようなことで、
PCを開ける暇もなく時間だけが過ぎていきました。
自分が年寄りの相手をする立場になって、はじめて先生方の
ご苦労が少しだけ体験できたような気がします。

この1ヶ月間は自分のケアが全くできなくて、とても悪い状態に
なってしまいました。また相談するかもしれませんが、よろしく
お願いします。
今日から、月2回程度のペースで土曜は朝から晩まで学校通いをすることにした。
「宅地建物取引主任者」の資格をとってみようと思い立ったのだ。初回とは言え、実質6時間の集中力持続はかなりきつかった。頭のリハビリの意味ではちょうどいいのかも知れないけどね。
幸い大学時代は法学部法律学科だったこともあり、法律用語等には何の苦労も抵抗感も無いので、秋の本試験まで通学そのものは持続できそうな気配ではある。しかし、できれば一発合格したいものですな!あはは。(合格率10%台っていうんだから、年齢的に無理かしらん)

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川島さん、実習ご苦労さまです。
世の中の大部分の人は、特に男性のお年寄りの場合、現役時代から独尊モードの人が多いから、自分の思い通りにならないとすぐへそ曲げちゃうんでしょうな。そんな時はあの病院の陽気な先生方を思い出して、暗くなりがちな患者さんたちをうまくノセてあげてください。
実はこの私も基本的には悲観主義なので、逆に自分の中の別人格を引っ張り出して、灯りを点けて回っては、陽気に振舞ってるだけなんですよ。
いやぁ、凄かった!
実はね、この身体で昨夜会社の人達と飲んでしまったわけ。しかも二次会のカラオケスナックまで付き合って。(もちろん自分の現在の体力も忘れて数曲熱唱してしまった)

案の定、今朝は寝坊していつもの空いてる普通電車を一本乗り遅れてしまった。で、仕方なく次の準急電車に飛び乗ったんだ。やはり準急は7時台でも当然に混んでたね。でも、ちょうど乗り込んだのは優先席に一番近いドアだったんだ。ここからがとても劇的な出来事の始まり。

GEEの目の前には神経質そうなオバちゃんが座席に座っていて、何やら海外旅行のパンフの風景写真を指先で折り目を入れては、大事そうに切り取って、クリアケースにしまっていたんだ。当然オバちゃんの膝には残骸の紙くずがいっぱいだった。なんだか面白いオバちゃんだなと思いその様子を観察しながら、GEEは電車に乗り遅れたことで出社時間が気に掛かり、上石神井駅を過ぎた辺りでつい携帯を取り出して時間を確認してしまったんだ。

次の瞬間、オバちゃんの金切り声が社内に広がった。
「アンタ!優先席の前で携帯使うんじゃないわよ!!あたしは心臓が悪いんだからね!!!とっととあっち行きなさいよ!!!!」凄い大声。こりゃとても心臓が悪い人の声じゃないよ(w

満員電車で移動もままならず「すみません。すみません。時刻を確認しただけだし、もう電源も切りましたから」と平謝りするGEE。
でもオバちゃんの怒りは収まらず、GEEの腕を掴んで「そんなじゃすまないわよ!早くあっちに行けって言ってるでしょ!!」と力ずくで少しでも自分の前から遠ざけようとした瞬間、GEEの持ってた杖がオバちゃんの足にコツンと当たった。

「もう怪我しちゃったじゃないのよ!降りなさいよ!!警察に行きましょ!!!」とますますトラブルは拡大。周りの乗客は寝たふりしてるか、クスクス笑ってるばかり。とうとうGEEはオバちゃんと、鷺ノ宮駅で途中下車するはめになってしまった。

「すみません。治療費をお支払いしますから」とGEEはとにかく急いでいるのでそう言うのだが、「お金の問題じゃないわよ!」と言ってオバちゃんは引かない。「お願いします。これで赦してください」と福沢1枚握らせたら、チラと見てその福沢を奪い取るやいなや「フン!これから気をつけなさいよ!!」と捨て台詞を残して脱兎の如く階段を三段跳びで駆け上がっていった。(終)

オバちゃんはよほど、杖をついた見るからに身体障害者然としたGEEが、優先席に陣取って作業に熱中している自分の前にやって来たことで、この席を譲らねばならないのだろうかという良心の呵責と毎朝の習慣にしているのであろう趣味のパンフちぎりの相克に悩んで、オバちゃんの指定席の前に突然現れたGEEに怒りを爆発させたんだろうなぁ。
(つまり、まるで無関心な俯いているだけの両サイドの乗客や、クスクス笑ってるだけの連中よりも、見方を変えれば、よほど人間臭い、愛すべきオバちゃんなのだ)

ところで思うに、オバちゃんの膝上にあったあの紙くずの山は準急電車の車内に置き去りにされてその後どうなったのだろう。とても気に掛かる。こんな時、当事者の自分と傍観者の自分が二人いればあれもこれも確認できて良いのにね。

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入院中にお世話になったPT、OTの先生方は、4月の医療制度改正(改悪?)で毎日大変なんだろうな。忙しくてもうこの日記も見てくれてないんだろうなぁ。

はじめての一歩

2006年6月16日 日常
今日の日記タイトルを見て、「て」はいらないんじゃないの?
と思った皆さん、下のURLにアクセスすればあなたの脳裡から「?」が消えるでしょう。
http://www.k2.dion.ne.jp/~ippo/

仕事で午後から高田馬場に出かけたのだが、駅のホームで年配の上品な御婦人から声をかけられた。なんと8ヶ月ぶりの再会だった。実は退院してからお店の掲示板にメッセージを入れてあったのだが、返事が来ないから何とはなしに疎遠になっていたのだ。残念ながら今日は仕事で遅くなりそうなので、またの機会にそのお店「一歩」には立ち寄ることを約束して別れた。

仕事も終わり「さかえ通り」を抜けて高田馬場駅に向かう途中、何とはなしに左の路地に目をやると、いつも見慣れた「静」という袖看板が消えている。こちらは元は神楽坂の芸者さんだったと噂の70を過ぎた粋なばあちゃんが一人で切り盛りしていたカラオケスナックで、我々変わり者のサラリーマンたちの憩いの場でもあったのだ。
毒蝮三太夫よろしく入店する際の挨拶は、「ばばァ、まだ生きてたか!」。
そのばあちゃんが店と共に突然この地から消えてしまった。思えば入院中の正月に、教えた覚えの無い自宅住所に唐突に年賀状が届いたのは虫の知らせだったのだろうか。体調が良くなってから顔を出せばいいやと思っていただけにショックだ。

人の縁というものは本当に思いもかけず生まれ、また突然に絶たれるものですね。

**** minekoさん、ありがとうございます。この際あと50年ほど生きながらえてやろうかとたくらんでいますよ(w)****
40代最後の日と。。。
明日でGEEも50歳。想えばこの世に生を受け、迷い続けているうちに、もう半世紀が過ぎた。
その間、大ぜいの人に助けられ、支えられながら、今も何とか生き永らえていられることに、とりあえずは感謝しなければね。

1ヶ月ぶりに

2006年6月9日 日常
自宅PCでキーボードを叩く。会社で毎日PCと向き合っていると、帰宅してまで文字を打ちたくなかった。この1ヶ月というもの我がPCはインターネットラジオであったりDVDプレーヤーとして、BGMやBGVの分野で僕の疲れた心と身体を癒してくれたのだ。
PCとしてのメインストリームな機能ではなくとも、いろいろな側面から何かしら役に立てる柔軟性をもっているのが今の多機能PCのスタンスなのだとあらためて思う。残りの僕の人生も潔くこうありたいものだ。
大木だって幹だけで成り立っているのではない。根も枝も葉も、すべてがそれぞれの機能を果たして、はじめて森を構成しているのだと思いたい。

****川島さん、お久しぶり。気にかけてくれてありがとう。何とか社会人やってますよ。ちょっぴり酒も飲んだりしながらね(w****
とても体調が悪く、連休明け2日間会社を休んだ。
連休中に鍛えようと性急に頑張り過ぎたようだ。競走馬と一緒で、レースに合わせて調整してくれる調教師がいないと、我流のリハビリではまだまだダメなのかもしれないな。朝が冷え込んだのもあるかも知れないが、ちょっと自信喪失。。。

PC復旧

2006年5月7日 日常
わりと早くメーカーからリカバリディスクが届いた。早速開けてみたら何のことはない、全部インストールやり直しだ。サードパーティー製のソフトやら、IEのお気に入り、cookieなどを外付ハードディスクに避難させて、作業にとりかかる。見事に買ったときと同じ状態になった。というか無駄なファイルが無くなった分、ずいぶん快適に動くようになった。さぁDVD見放題だ。自分の身体も早くこうなるといいな。

今日は雨降りで寒い一日だったから、左半身が重い感じがする。PCに集中しすぎて疲れていたせいか、夕食の時に無意識に涎を垂らしたり、茶碗を落としたりしたので、家族には相当心配させてしまった。実は自分自身も一瞬ヒヤリとしていたんだ。

明日からまた仕事が始まる。比較的すいた時間の通勤電車に遅れないように、早めに寝て準備万端でいこう。

今日の万歩計 1356歩
今日の血圧計 129/95・脈拍 64

コーラック

2006年5月6日 日常
G.W.ももう終わり。月島散歩の外はほとんど行楽に出かけなかったためか、ちょっと便秘気味。駄洒落で今夜あたり就寝前にコーラックを少量飲んでおくか。幸楽さんに、座蒲団10枚!

今日の昼間は、DVDの返却に隣駅まで出かけたのと、近所のクリーニング店にYシャツを出しにいったくらいの運動量だったので、夜になって風呂上がりに装具無しで散歩に出かけることにした。妻も心配して付き合ってくれるということで、一緒に歩いた。だがしかし、二人で夜に出歩くと案の定、飲みにいってしまった。旬の海の幸をたっぷり食べて、あぁ満腹。酒は生ビール1杯と吟醸酒1合だっけれど、帰りはかなりの千鳥足でありました。ちょっと食べすぎ、飲みすぎたかな。

今日の万歩計 2642歩
今日の血圧計 121/88・脈拍 69

こどもの日

2006年5月5日 日常
今日もまだ疲れが残ってて、家の中にいた。出かけたといえば近所のコンビニにauの未納金を振込に行ったくらいだった。退院してから銀行引落としに変更したつもりだったが、来月からの実効らしい。で、ほとんど歩いてないのに、柏餅はムシャムシャとしっかり食べてしまった。これじゃG.W.前に立てた目標を大幅に下回ってしまうなぁ。

さらにその上、PCの調子が悪くてリカバリしたら、ソフトは消えるわ、音は出なくなるわで散々な目にあった。どうやらリカバリの方法が変わったらしく、メーカーにメールで問い合わせして、新しいディスクを送ってもらうことになった。PCも完全復活までしばらくかかりそうだ。PCでDVDを見るのが楽しみだったのだが、しばらくおあずけだな。

今日の万歩計 記録なし
今日の血圧計 117/78・脈拍 74

**平井さん、ありがとねー。なんか、やっぱ「カーちゃん」の方がしっくりくるな(w)。それに念願の店長就任おめでとう。美容師になるまでは紆余曲折で時間がかかったけど、やっぱり見込んだとおり才能が開花したね。店に来いって、エクステはハゲ頭の短髪でもできるのでしょうか、アハハ。それと、ここでは「GEEさん」なんで、ヨロシクね。本名で呼ぶなぁ〜(汗)**
昨日の遠出がたたってしまった。ちょっと無理があったかな。
一日中CD三昧でクラシック音楽に浸って、心安らかに過ごした。

今日の万歩計 記録なし
今日の血圧計 123/87・脈拍 67

G.W.の遠出

2006年5月3日 日常
5連休の初日は、家族みんなで月島に出かけてきました。しかも、僕にとっては初の足首固定装具を外しての遠出になりました。長女が通う予備校の授業が終わる昼過ぎに新宿でおちあって都営大江戸線の改札口へ向かいます。春の一日フリー乗車券500円を家族5人分買って、いざ月島へ。30分もかからずに到着。有楽町線や大江戸線が開通してからホントに便利になったものですね。

さて、もう昼の1時を回ってお腹もグゥと鳴っています。でも祝日ということもあって結構な人出。こんな時は「もんじゃ さかもと」さんが大人数で入るのには都合の良い作り。
まずは枝豆をつまみながら、ここまでの回復を祝ってウーロン茶で「カンパーイ!」。その間にバター焼きの「ホタテ・イカ・ウインナー」を鉄板でジュウと焼き、一気に空きっ腹に納めます。続いてのお好み焼きは「豚天」をハフハフとほおばります。さてさてお目当てのもんじゃは、子供たちの希望で「五目もんじゃ」と「もち・明太子・チーズ入もんじゃ」。身体を悪くする前なら必ず僕が焼き担当で、泣こうが叫ぼうがその栄光のシェフの座を誰にも譲らなかったものですが、今日は初めて長女に任せることにしました。案の定、長女の無手勝流の焼き方にちょっとだけお店のおばちゃんから「正統派の土手の作り方」の注文がつきましたが、まぁ何にでも流儀があるということも知ることができたし、それなりに上手にできました。あぁ、満腹!飲物代込みで9,000円弱とリーズナブルな家族サービスの額に収まりました。
http://www.gurume-tsukishima.com/shop/040_sakamoto.html

もんじゃのお店を出て、今日のもう一つの目的、隅田川を眼下に佃大橋を渡り、聖路加タワーに向かいます。G.W.で交通量も少なく川風がとても気持ちいい。ここは47Fの展望室がなんと無料なんです。しかも絶景!カップルでも良いけれど、ファミリーで行くにはちょうど良い穴場スポットですね。
http://www.asahi-mullion.com/mullion/leisure/tadanavi/40206index.html

その道行きの途中にあるのが、佃煮の老舗「天安」さん。ここは、量り売りもしてくれるので重宝しますよ。今日は「白す、はぜ、昆布、貝ひも、いかあられ、きゃらぶき」の6種類を100グラムずつ、それに長女のたっての希望で「蝗(いなご)」を50グラム買い求め、今夜の夕食はヘルシーに大根粥と芋粥にして、佃煮7種をおかずにすることに。
http://www.hukubukuro.net/shopping_cart/html/tenyasu.html

聖路加タワーからは普通なら東京メトロ新富町駅か築地駅に向かうところですが、途中の乗り換えも面倒だし、都営地下鉄の一日フリー乗車券もあるし、それに「買い忘れた!」と妻が言う「カツオの佃煮」も買い求めようということで、月島駅に引き返すことになりました。「じゃあ実家のお父さんにも佃煮詰合せを贈ってあげなよ」と僕が提案、妻も快諾。これには深い(?)ワケが。実は僕の義父の名は「米安」というのだ、アハハ。それは冗談として、妻の実家がある大阪と佃島には実に歴史的な関係があるのですね。それはさきほどの「天安」さんのホームページでじっくりご覧くださいな。
ここまでの月島散歩でかなり疲れたので、駅近くのマックでコーヒータイム休憩をしてから、新宿へ戻ることに。

さて西武新宿駅の改札口に行き着くまでの通路に、僕にとって2ヵ所の関門がある。一つ目は、小さな露天カウンターで潔くワンコイン500円で販売しているプリンスホテルのホテルメイドブレッドセット。菓子パンも3つ付いていて、これはお買い得なんです。二つ目は、最近できた改札間近にあるスイーツの店「らぽっぽ」の「ポテトアップルパイ」税込714円。この2つにはいつもいつも引き寄せられてしまうのだ。
http://www.shirohato.com/rapoppo/new_open.html

そんなわけで、何とか一日を無事過ごし、夕食を済ませて、ホッと一息ついてPCに向かっているところです。あ、リビングの方から「お茶がはいりましたよ」という声がかかったので、件のポテトアップルパイが食べ尽くされないうちに今夜はそろそろおしまいにします。ではまた

今日の万歩計11404歩
今日の血圧計127/95・脈拍61

**ミーミさん、本当に残念なことです。再開したら一番に知らせてくださいね**
毎日書き続けていましたが、この3日ほど仕事の方が忙しくて、帰宅してPCの前に座ることもなく眠りにつくという具合で、G.W.を迎えてしまいました。

毎日の通勤で体力的にはかなり鍛えられ、また身体機能的にもずいぶん回復してきたかなと思う今日この頃です。5月2日は取引先各社からの精算見積書と請求書の照合チェックをして財務部に提出する手続きがあるので出社するのですが、あとは休暇を取れたので、この機会に足の固定装具を外して街を闊歩してみようかと企んでいます。
お世話になった先生方にも、一日でも早く回復することが一番の恩返しだと思って頑張ります。
だとのことで、早めに真っ直ぐ帰ろうと思っていたのに、高田馬場駅下りホームに続くエスカレーターはトコロテン式に人が溢れていかないように停止してあった。やむなく、上りホームのエレベーターに回って新宿行きに乗り込む。こんな時は、へたに高田馬場で電車を待つより、始点の西武新宿駅まで行って急行に乗った方がよほど効率が良い。案の定、ガラ空きで楽々座って帰ってこれた。

いや待てよ、新年度初めの給料日だから早く帰るヤツがいないだけかも知れないな!まぁ僕の場合、今のところゴールデンウイーク突入を心待ちにするくらいしか楽しみがないけどね。

寒い一日

2006年4月24日 日常
とても寒い日だった。
といっても、外出したわけじゃない。オフィスの空調の調子がどうやら変だったらしい。身体が冷えると特に辛い。こんな時はできるだけ早く帰ってお風呂で温めるしかない。外ではJR高田馬場付近でで線路がグニャリと曲がるという不思議な出来事もあったようだ。大きな事故にならなくて良かったね。人が死んだり、身体が不自由になったりするのは歓迎したくないからね。それでは、今夜はもう寝ます。。。

安息日

2006年4月23日 日常
一日中、家の中でCDとLPレコードを聴いていた。
久々に大音量でスピーカーから流れるModern Jazzは、少々刺激的に耳に突き刺さる。けれども、やはり僕はこの音楽のビートが大好きだと再確認。アコースティックベースの野太い響き、シンバルの透き通った金属音が絶妙なドラムのリズム、それにかぶさって行くピアノのスピード感。そして、そのリズムセクションの間を駆け抜けるサキソフォン。左手が思うように動くようになれば、また再び楽器に触れることができるだろうか。その日を心待ちにして、これからもリハビリに励もう。

実は病院では、おばあちゃんの患者さんが多かったから懐メロがたっぷり聴けたんだ。意外とあの頃の歌謡曲には、Jazzのエッセンスがちりばめられていて、Jazz好きの僕にも結構楽しめたんだよね。
快晴の朝である。
気持ちよく早起きして、朝8:30に予約してあった整体に隣駅まで出かけた。今日は90分8,000円のコースだったが、土曜の早い時間は暇らしく、たっぷり2時間かけて揉みほぐしてくれた。最近すぐ固くなってしまう筋肉だが、これだけ即効性があって身体がラクになると癖になってしまいそうだ。この年齢までどれだけ細かい作業をしても、長時間PCに向かっても、少々の力仕事をしても、肩凝りや筋肉の張りに悩まされるということが無かったので、一生涯マッサージや整体にお世話になることは無いだろうと思っていたから、よく言う「効く」というのを体感できてよかったのかもしれない。

昼前に帰宅して妻の手作りの昼食をとり、ベッドで新聞を読んでいたらついまどろんでしまい、夕方まですやすやと寝息をたてていた。で、起きてからはDVD三昧。今日は邦画特集で行こうとばかりに、妻夫木聡主演『69』を皮切りに、小津安二郎監督『東京物語』、小泉今日子主演『風花』と何の脈絡もない3本立てをPC上映して一人悦に入っている。小市民的幸福とはこういうことかな。

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