もう月末だ。

2006年7月30日 日常
怒涛の一ヶ月だった。
月初めに田舎の両親から突然電話が来て、
「東大病院に紹介状書いてもらったから、明日そっちに行くわ」
だって。

え、なんのこと?と思っているうちに、明日が今日になって、指定された時間に羽田空港の到着ロビーで待っていた。
現れたのは、車椅子の母とその横にぴたりと張り付いている老いた父の姿だった。CAが二人付き添ってくれていて、スーツケースが5個もある。まるで引越しでもしてきたかのような大荷物だ。

よくよく聞いてみれば肝臓癌の診断を下されて、こちらの病院に手術を受けに来たのだというではないか。

今まで元気に暮らしているといってたはずじゃなかったのか?
何か狐につままれたまま、大荷物と老夫婦を乗せて羽田からワゴンタクシーで西東京の自宅まで連れて帰った。荷解きをしてみると中身は母の着替えと化粧品が大量に詰まっていた。いくつになってもオンナを忘れないのは結構なのだが、毎回通院の度に洋服から靴までコーディネートしていくつもりかい?

とにかく、それから先は会社に有給休暇をもらっては通院の付添いを続けたのだった。僕は今、れっきとした身障者なので、車椅子の母を押して行くその姿は人々の目にどう映っていただろう。興味津々ではある。

我が家から本郷まで送っていくのに高田馬場までは電車で行くのだが、母は高田馬場からはタクシーに乗るのを楽しみ(というかそれが楽チンで人目がないから、プライドの高い母には心地良かったのだろう)にしているものだから、毎度その往復だけで6,000円以上かかってしまった。通算すると結構なものだ。母はそんなことは意に介した風もなく僕に頼りっぱなしなのだ。まぁ、これで親孝行をしていると思えば安いものだが。

そうして、通院検査だ、検査入院だのであっという間に月末だ。医者は高齢の母を見て手術には乗り気でない。執刀しても寝たきりになる確率が高いとまでいう。ほかにも糖尿だの心臓だの肺だのに異常があるようだ。まぁ、病院としては失敗例は増やしたくないものな。来年度の予算にも多少は関係するだろうし。分かりますよ先生。

母も観念したのか、手術は取りやめて余生をゆっくり田舎で過ごしたいといい始めた。薬を投与して進行を遅らせる治療もありだというので僕も同意した。

それで今日再び、空路で田舎に飛び立ったのだ。

ほんと、現代版『東京物語』の1ヶ月間だった。 近況報告まで

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吉田先生、おひさしぶりでございます。上記のようなことで、
PCを開ける暇もなく時間だけが過ぎていきました。
自分が年寄りの相手をする立場になって、はじめて先生方の
ご苦労が少しだけ体験できたような気がします。

この1ヶ月間は自分のケアが全くできなくて、とても悪い状態に
なってしまいました。また相談するかもしれませんが、よろしく
お願いします。

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